クラインの壷、エクリチュール

浅田彰は『構造と力』で「クラインの壷」というメタファーによって上/下あるいはメタ/オブジェクト、優越/従属の二レベルが短絡させられるシステムを説明したという。
その著書を読んだことが無いので具体的にどういったコンテクストで、それが何事を強調したのかは知らないが、その曲面自体は東浩紀の『存在論的、郵便的』で間接的に知った。



http://en.wikipedia.org/wiki/Klein_bottle


メビウスの輪が帯の対辺を逆方向に繋げたのに対し、クラインの壷[面/Fläche]は長方形の一組の対辺を同方向に、もう一組の対辺を逆方向に繋いだモデルである。
Wikipediaでこの画像をみたとき、僕はよくわかんないけど、興奮していた。
とりあえず数学的知識*1の皆無な僕はくる日もくる日も「Klein Bottle」でググっては収穫物をTumblrに投げていた。


そして間をおかず、あるテキストを見つける。図らずも山形浩生のサイトで。
『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰のクラインの壺をめぐって(というか、浅田式にはめぐらないのだ)
『構造と力』で浅田彰クラインの壷を比喩に持ち出した不適切さを面白可笑しく(それを継承した上記の『存在論的、郵便的』も含めて)皮肉ってるのだが、その一部にこのような文章がある

……クラインのつぼってたて切りにすると、しなびたチンコみたいなのね。しかしそれはさておき、この図で金玉の間のところから、「価値」や「意味」を送り込んでみよう。それはぐるっとまわって……そして、金玉のふくろにたまる。それでおしまい。逆は? 金玉から出た価値や意味は、口を通って下に落下して……


当該ページには手書きの断面図もあるので参照されたし。
なんということか、僕はよけいな、Esの声を聴いてしまった。
クラインの壷は男性器どころか、両性具有的だ。
それは入り口であると同時に出口であり、(三次元の射影では)自己の突起物/延長を自らの体に挿入し再び穴から顔を出す。
山形浩生の断面図では限りなく男性器的だが、角度によっては女性器的*2でもある。


ぼくは、せいてきに、こうふんしていたのだ!
そうすると「壷」という語も、卑猥な暗喩を帯びてくる。


*1:理系の間ではクラインの壷=性器のネタはありふれてるのだろうか?

*2:http://www.andrewlipson.com/kleinbottle.htmこのページはクラインの壷のエロティックな構造がよくわかる