MartinCreedの「1-100」がジョン•ケージっぽくてかっこいい
ちょっとエントリのタイトルからズレたところから始めるけど
- 作者: 吉井仁実
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2008/09/17
- メディア: 新書
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『MartinCreed』
>http://www.martincreed.com/contents.html
上記の本から引用すると
「work No.227:The Lights Going on and off(ライトが点いたり消えたり)」は、何も置かれていない展示室の備え付けの証明が、五秒間隔で椎体消えたりする…<中略>
マーティンがクリエイションに向ける感性は、アートの概念を打ち崩し、アートとはこういうものだという一切の予備的判断を無効化する力を持っています、しかもその作品は軽妙でウィットに富み、イデオロギッシュな党派性には染まらない自由さを持つという点で、従来の前衛的なアーティストとは一線を画します。
現代アートを批判的なコンテクストで語るときに多くの人が口にする「なんでもあり」感を突き詰めたスタイルだ。
筆者は90年代の大きな物語が消滅した後の社会(東浩紀の動物化〜みたい)では、人々は断片化した現実に関心を向けはじめ、アートも断片化した現実的モチーフを用いた表現傾向を示していたと説明している。*1
次に9•11後の(ここからよくわかんない)「アフター•ザ•リアリティ」は現実=虚構という構図が、資本主義の象徴の崩壊や、メディアのイメージが我々の現実を囲い込む事実の顕在化によって再認識されるようになり、近代的個人に基づく普遍性という虚像を破壊し、融和を通して類的な普遍性を追求するアートが主流となっているとする。逆説的に90年代の「断片化」とはあくまでも我々の現実認識の問題であり、アート自体は断片化を表象させることによって"近代的個人に基づく普遍性"を追求していたということだろうか。
それから本の主題とちょっとずれるが、現代美術を支えるのは「新しさ」や「派手さ」ではなく、(むしろ9•11で味わった現代に蔓延る"既視感"や"ビジュアリティの限界"をふまえて)社会と、またその内包物である自己を鋭い視線で観察•解釈し伝えるアーティストの力によるものだという(明示的にに主張はしていないが)メッセージが読み取れる。自分の現代アートの見方を反省させられた。
んで、このような前提に立ってMartinCreedを「アフター•ザ•リアリティ」の一例として紹介していた。
一番この人の作品で興味を引くのがこの本でも紹介されてる「1-100」*2という"楽曲"。予想はつくが、歌詞が1から100を数えるだけ。斬新というよりも、ジョン・ケージの「4分33秒」を彷彿とさせて笑える。*3ジョン•ケージはWikipediaの現代音楽の項目ででてくるけど、もはや"現代"音楽ではないのかな。"プログレッシブ"•ロックみたいな。この人のファンになった。2009年には展示会あるみたいだし、行けたらいいな。